ANAの正しい知識
人に愛される道路といえば、商店や、酒場がひしめきあう世界中の路地を忘れるわけにはいかない。
さて、ここでは人間的でありながらも、象徴的な道路のつくられ方に注目してみよう。
取り上げるのは都下国立市にある大学通りである。
国立市のシンボル「大学通り」中央線の国立駅に降り、南口に立つと、一本の通りがパースペクティブを与えている。
両側に豊かな街路樹が立ち並ぶ大学通りである。
それは、人口六万五千、面積八平方キロメートルほどのこの小さな郊外都市の文字どおり骨格となっている。
大学通りの全長は約二キロメートル、J中央線の国立駅とJ南武線の谷保駅を結ぶ。
国立駅から一・四キロメートルほどは真っすぐに南下し、幅員も四三メートルあり、そこから少し細くなり、いくらかカーブしながら谷保駅に至る。
二駅へ至る幹線として、バスや自転車で通勤・通学する市民が使う道路という意味で重要なのであるが、同時にこの道路は両駅でそれぞれ行き止まりになるので通過交通がそう多くないという利点がある。
このため大学通りは単に交通路の機能ばかりではなく、両側のゆったりした植栽や街路樹がつくり出す緑陰の落ち着いた佇まいのお陰もあって、格好の散歩道ともなっている。
沿道には凝った店づくりや品揃えをした商店や飲食店も多く、散歩の楽しみを倍加させている。
また、名前の由来である一橋大学が大学通りを挟んで向かい合ってキャンパスを構え、庭の木々が街路樹と一体となって快適な緑空間を形成している。
学園都市のシンボル大学通りができたのは、現在のSグループの前身であるTyのH土地株式会社がここを住宅地として開発したことによる。
Tyは軽井沢や箱根の別荘地開発を手掛けたのち、一九一三年(大正二年)に最初の一般住宅地として「目白文化村」を売り出した。
目白文化村は現在の新宿区中井から中落合にかけての高台に開発された住宅地である。
すでに明治末期に山手線が開通し、近くの目白駅付近では貴族の屋敷をはじめとする住宅立地が進んでいたから、この開発は急速に市街化する地域での分譲住宅地開発という性格をもっていた。
Tyが本格的な郊外のニュータウン開発を行うきっかけになったのは、一九二三年の関東大震災であった。
震災復興は東京の改造を促し、住宅はもちろん、大学などの大規模施設も必ず郊外へ移転するようになると見通したのである。
Tyが着手した郊外ニュータウン開発は二一カ所、「大泉学園都市」「小平学園」と「国立大学町」である。
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